とりあえず、ケータイ見ながら歩いてるヤツは死刑って法律作らない?
TARです。邪魔なんだよ。脇に寄るとか、見るの止めるとかしろよ。
あ、この前のメキシコの話の続き、書いてイイ?
元々は1本のネタだったんだけど、あまりに長くなったから分けた。
つっても、それでも十分長ぇんだけどさ。
あとね、メキシコでは自己紹介で、宗教・宗派も言うのが普通なんだと。
メキシコは、国民のほとんどが敬虔なローマ・カソリックを信仰してて
日曜のミサに行くのを、日々の生活の愉しみとしているような
信仰心の厚い国民性を持っているんで、日本では普通の「無宗教」は
「えっ?なんで?信仰なしでど~やって生きていくの?」ってぐらい
ある種の批判めいた口調で訊かれるようなお国柄なんだって。
でも信仰ってさ、突き詰めて考えれば「死の恐怖」を和らげるために
現世で祈りを捧げて、良い行いをしなさいっていう教えなんだよね。
その「死の恐怖」に対して、ココロの拠り所が必要ない日本人は、
精神的に自立した国民って言えるんじゃないかな?(言い過ぎ?)
で、前の話にも関連するんだけど、日本はちっぽけな島国だからこそ
昔から数々の天災に悩まされてきた歴史があるワケだよね。
例えば、地震や津波、洪水、山火事、噴火みたいな天災によって
図らずも亡くなってしまった人々に対して、悲しみはするけれども、
かと言って、ど~するコトもできない諦め(諦観)を持ってると思う。
だから「死」に対する諦めも、潔いんだと思う。(飛躍し過ぎか?)
さらに「切腹」という責任の取り方が最上級とされていた時代もあって
今ですら、組織のトップが責任を取る意味で自殺するなんてコトも
あまり珍しいコトではないじゃん?イイコトかどうかは別の論議ね。
オレらが企業の不祥事のニュースとか見てても、経営者の謝罪会見とかで
他人事ながら、つい「死んで責任を取れ!」とか言っちゃうじゃん?
未だに、日本では「死んでお詫びします」がまかり通る社会なんだよ。
自殺する方も「生き恥を晒すくらいなら・・・」って精神状態でしょ?
誰に対しての責任なのかって言えば、世間や社会に対してなんだよね。
逃げ場のない島国だからこそ、社会との繋がりや世間体を重要視して、
顔向けできないって理由で死を選ぶ。また、それを是とするお国柄。
世界的にも日本は自殺率が高く、それも50~60代が非常に多いのよね。
社会的にも組織的にもトップ、もしくはトップに近い地位の人が
なんらかの責任を取るために自殺をするってケースが多いんだろうね。
まぁ、病気や借金を苦に自殺するってケースもあるんだろうけどさ。
中小企業の社長が、この不況で不渡りを出して、工場内で自殺とか、
当事者にとっては一大事なコトは重々承知のうえで書くけど、
そんなニュースを見ても、過剰な感情移入ってしなくないでしょ?
なんとなく「しょうがないよね」って受け入れてる自分がいるでしょ?
つまり、責任者が死を持って責任を取るコトを容認してるんだよね。
欧米では、そんな考えは全然なくて「自殺=安易な逃げ」と見られて、
「恥ずべき行為」とされてるんだよね。宗教上からの見地においても
あまり良い行いとはされていないしね。あ、キリスト教の話ね。
(実際に、聖書には「自殺=悪」との記述はありません。
ただ、生命に対する与奪権を持つのは唯一「神」だけであり、
自らの命を絶つという自己的な行為は神の御心に反するという理由で
悪い行いであるという認識が一般的だというコトです)
そ~ゆ~意味では、死刑も「神」に対する冒涜なのかも知れないね。
というのも、先進国で死刑制度が未だに残ってる国は日本だけなんだよ。
この前も、死刑執行のペースが上がってるってニュースになってたし。
最近のニュースでも、マンションの隣人女性を殺した事件とか
ネットで知り合った3人が強盗目的で女性を殺した事件とか
「死刑になるかならないか」が争点、注目の的になってたワケじゃん?
で、ネットの書き込みでも、凶悪犯の死刑判決や死刑執行に対して
みんな肯定的なんだよね。もし自分の家族がそんな目にあったらって
感情移入、自己投影して、贖罪としての死刑を妥当と判断してるんだよ。
命を軽んじてるワケでも、法的な殺人を肯定してるワケではないんだけど、
「やっぱ、そこまで非道なコトをしたら死刑が妥当じゃね?」って
日本人なら誰でもが、なんとなく思ってるんじゃないかなぁと。
もっと言うなら時代劇でも「仇討ち」が正当化されてたりするじゃん?
忠臣蔵なんて、まさにそうだよね。松の廊下の刃傷沙汰によって
切腹させられた君主の仇討ちに、赤穂浪士四十七士が討入するって話。
よくよく考えると、47人でたった1人を殺しにかかるのは卑怯だけど
誰が見ても吉良上野介は確実に悪役だし、誰が見ても浅野内匠頭や
大石内蔵助、赤穂浪士四十七士に感情移入をしちゃう演出になってるし。
そんなドラマで育った日本人は、そりゃあ「仇討ち、結構」になるよ。
でもそれって、イスラムの「目には目を」と同じ考え方なんだよね。
暴力の連鎖でしかなくて、お互いが「仇討ちされた仇討ち」みたいに
ループする可能性がなくはないんだけど、勧善懲悪的な見方をするなら
どこかで悪者が退治されて、善人の仇討ちが完了して幕が下りる寸法。
ヘタすりゃ拍手喝采でしょ?経緯を無視すりゃ、殺人事件なのにね。
なんかさ、結局は、日本人ってドコか「諦観」や「無常観」があって
「人間、いつか死んで、いなくなる」コトが前提で生きてるフシ、ない?
命を粗末にしてるワケではないんだけど、執着してないっつ~か。
自分の命ですらそうなんだから、他人の命なんてもっとそうだよな。
それは国民性なのかも知れないけど、世界的に見れば「異端」だよね。
そろそろ「命の大切さ」について、考え直さないといけないのかも。
オレもこれから、スグに「死ね!」とか「死ねばイイのに・・・」って
言うのを止めるようにします。もし言ったら、責任を取って切腹します。